東京高等裁判所 昭和29年(ネ)486号 判決 1955年7月30日
控訴人(被告) 国
訴訟代理人 堀内恒雄 外一名
被控訴人(原告) 神田まさこ
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方事実上の陳述および証拠に対する関係は原判決事実の部分に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
被控訴人が大正四年二月四日日本人である父久保寺慶治と同じく日本人である母はなとの間に長女として出生した日本人であつて当初久保寺姓を名乗り後神田姓を名乗つた事実は当事者間争がないところである。控訴人は、被控訴人は昭和十年七月十六日朝鮮黄海道鳳山郡楚臥面細柳里十番地に本籍を有し、現に朝鮮に在住する崔成根(朝鮮人)と婚姻入籍したのであつて、平和条約発効と同時に右崔と同じく日本の国籍を失つたものであると主張し、被控訴人が控訴人主張のような朝鮮人と婚姻したことは当事者間争がないところであるから、果して控訴人主張のように、被控訴人が日本の国籍を失つたか否かにつき審査するに、平和条約第二条(a)項において「日本国は朝鮮の独立を承認し、済洲島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」旨定めた理由は、すなわち明治四十三年日本国と旧韓国との間に成立した韓国併合条約により発生した状態を除去し、終戦後独立した朝鮮国家に旧韓国が有つてゐた領土主権および人的主権等を回復せしめ、朝鮮民族国家を再建せしめるため、日本国をして旧韓国の有つてゐた領土主権その他一切の権利、権原及び請求権の放棄を約せしめたことにあることまことに明かである。
ところが旧韓国の法制によれば、旧韓国人男子に嫁した外国人女子は旧韓国の国籍を取得すること明かであり、また日本の旧国籍法(明治三十二年三月十六日法律第六十六号)第十八条によれば、日本人が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う旨規定してゐるから、もし韓国併合がなかつたならば、前記のように朝鮮人である崔成根に嫁した日本人女子である被控訴人は旧韓国の国籍を取得するとともに、日本の国籍を失うべかりしものであること明である。したがつて被控訴人は前に説明した平和条約が発効した昭和二十七年四月二十八日日本の国籍を失つたものといわねばならぬ。そうだとすると被控訴人が日本の国籍を有することの確認を求める本訴請は失当であること明かでこれを認容した原判決は失当であるから、これを取消し、被控訴人の本訴請求を棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決した。
(裁判官 渡辺葆 牧野威夫 野本泰)
準備書面
原告は、次に述べるように、日本国籍を喪失しているから、本訴請求は失当である。
一、いわゆる朝鮮人は、平和条約の最初の効力発生の日に、日本の国籍を喪失している。
日本国は平和条約第二条a項により朝鮮の独立を承認したのであるが、同条約は朝鮮国の国籍を取得すべき者の範囲については明文の規定を設けていない。然し右条項の趣旨からして平和条約が一定の範囲の者が朝鮮国の国民となるべきことを予定していることは当然であり、しかもこの点に関して右条約の加盟国を拘束する別段の取極ないし国際司法裁判所の判決等による有権的解釈もなく、さらに日本国と独立朝鮮との間にこれに関する条約等も締結されていないのであるから、日本国としては独自に右平和条約の合理的解釈を明らかにせざるを得ない。ところで「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)」第二条第一項第三号及び第六項は外国人のうち「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者」の出入国管理令(昭和二六年政令第三一九号)にもとずく日本在留の資格及び期間について定めをしているが、これは平和条約発効の日において、いわゆる朝鮮人及び台湾人が日本国の国籍を当然に喪失すべきことを前提としたものであつて、日本国は法律をもつて前記平和条約の解釈を明らかにしたものと解するのが相当であるし、又「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者」の内には、当然朝鮮人が含まれているものと解するのが相当であるから、朝鮮人は、右法律の規定によつて日本の国籍を失つたものと解すべきものである。
なお連合国占領時代における朝鮮人の日本国における取扱についてみるに、日本政府は連合国最高司令官の指令にもとずき、外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)を制定し、その第十一条により朝鮮人は同令の適用については外国人とみなされ、一般外国人と同様に外国人登録の対象とされていたのであつて、このことは、前記平和条約の条項の日本国による解釈が、旧連合国の解釈にも合致することを暗示するものといわなければならない。
他方朝鮮においては、南朝鮮過度政府法律第一一号(一九四八年朝鮮軍政長官認准)国籍に関する臨時条例第五条において、「外国の国籍又は日本の戸籍を取得した者であつてその国籍を抛棄するか又は日本の戸籍を離脱する者は檀紀四二七八年(昭和二〇年)八月九日以前に朝鮮の国籍を回復したものと看做す」旨を規定し、檀紀四二八一年(昭和二三年)法律第一六号大韓民国国籍法第三条は、外国人であつて大韓民国の国民の妻となつた者は、大韓民国の国籍を取得するものとなし、更に檀紀四二八二年(昭和二四年)法律第七〇号在外国民登録法等の公布施行によつて、在日朝鮮人に対して在外国民の登録をなさしめていることからみても、平和条約に対する前述のような日本国の解釈は、朝鮮国が、終戦以来右条約発効後の現在に至るまでといつてきた措置や態度とも合致するものである。
二、平和条約の発効によつて国籍を喪失するいわゆる朝鮮人とは、平和条約の発効時まで、朝鮮の戸籍に登載されて朝鮮人たる身分を取得していた者をいい、朝鮮人男子と婚姻し、朝鮮の戸籍に登載されていた内地人女子を含むのである。
平和条約発効まで、朝鮮には戸籍法の適用はなく、朝鮮戸籍令(大正一一年総督府令第一五四号)があり、ただ、内地戸籍との連絡については、共通法によつて規律せられていたものであつた。従つて、従来等しく日本国籍を有するとはいつても、内地人、朝鮮人の区別があり朝鮮人は、朝鮮に本籍をもち、朝鮮に身分上専属し、内地に本籍を有することがなく、また内地に転籍することも許されなかつた反面において、内地人は内地に本籍をもち、朝鮮に転籍することは許されなかつたものである。
朝鮮人たる身分は、このような関係にあつたものであり、終戦以来日本及び朝鮮においては、かように内地人と朝鮮人と区別されていたこの身分関係を前提として、前述のような各種の措置がとられており、かかる事実の上に成立した平和条約の前記条項は、右のような身分関係を基礎とした国籍の変動を予定したものであると解せられるから、平和条約の発効によつて日本国籍を喪失するいわゆる朝鮮人は、朝鮮の戸籍に登載されて朝鮮人たる身分を取得していた者に外ならないというべきである。
従来、朝鮮人の妻となつた内地人女子は、共通法により、婚姻によつて内地の戸籍から除籍されて内地人たる身分を失い、朝鮮人たる身分を取得するものとされ、一般の朝鮮人と全く同一の地位を与えられてきたのであつて、終戦後の外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号の面においても、同様の規整を受けたのである。すなわち、同令第十一条によれば、朝鮮人は、同令の適用については外国人とみなされ、一般外国人と同様に外国人登録の対象とされていたが、朝鮮人男子と婚姻し、共通法の規定により内地の戸籍から除籍され、朝鮮人たる身分を取得していた内地人女子も、外国人として登録されてきたのであつて、このような内地人女子は、すでに連合国占領時代から外国人登録令の適用について外国人とみなされていたものである。従つて、平和条約の前記条項の適用に関しても、これを一般の朝鮮人と区別すべき理由は何等ないものといわねばならない。
現行国籍法は夫婦国籍独立主義を採用しているが、同法の規定は、平和条約発行前になされた日本内地人女子と朝鮮人男子との婚姻により生じた身分関係の変動には何等の影響を及ぼすものではないから、右のようなものと内地人女子についても、血統上本来の朝鮮人と同様に、平和条約の発効に伴い日本の国籍を喪失するものと解すべきものである。
三、いわゆる朝鮮人は、日本国籍を喪失すること及び朝鮮人男子と婚姻し朝鮮人たる身分を取得したもと内地人女子もこの朝鮮人に含まれることを明らかにしたが、原告は、昭和十年七月十六日朝鮮人崔成根と婚姻し、内地の戸籍から除籍せられ、当時すでに朝鮮人たる身分を取得していたものであるから、平和条約の発効とともに日本の国籍を喪失したことは明らかであつて、その後昭和二十七年十一月五日右崔成根との離婚の判決が確定しても、その故をもつて当然に、日本の国籍を回復するものでないこともまた疑の余地がなく、原告が日本の国籍の取得を希望するならば国籍法所定の帰化の手続によらなければならないものである。原告は、帰化の手続は不可能事に等しいと主張されるが、日本の国籍を失つた者で日本に住所を有する者として、原告には簡易の帰化が許される筈であるから、かかる主張は正当でなく、日本国籍を有することを前提としてその確認を求められる本訴請求は失当といわねばならない。
第二準備書面
原告は、平和条約の発効と同時に日本の国籍を失つたものである。その実質的根拠を次のとおり補足する。
一、朝鮮の独立が、カイロ宣言やポツダム宣言によつて予定せられ、日木がポツダム宣言受諾と平和条約とによつてこれを認めた経緯を考えると、右平和条約第二条a項は、日韓併合により消滅した朝鮮民族国家を再現するために、日本は朝鮮地域と朝鮮人に対する統治権を抛棄し、朝鮮に主権、領土及び国民を回復させる意味をもつたものである。従つて、右条項の解釈につき日韓併合における韓国の併合状態を考慮するのが合理的である。明治四十三年の韓国併合協約第一条には「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」とあつて、これにより韓国の領土及び国民は完全に日本国の領土及び国民となつたのであるが、日韓両国間には、別に国籍に関する取極めをなすこともなく、韓国民は国内に居住すると外国に居住するとに拘りなく、右併合協約発効と共に日本国籍を取得したものである。平和条約における朝鮮独立が領土、国民の回復を意味すると解せられる以上、領土変更に伴う国籍の変動は、単に同地域の住民を基準とせらるべきではなく、併合時において、韓国籍を有した者及び併合なかりせば、当然韓国籍を得たであろう者を朝鮮国を形成する国民として、これに朝鮮の国籍を回復せしめる意味合において、変動あらしめるのが正当である。従つて、この場合においては、併合の際と同様に、国籍変更に、住所主義も生地主義も基準にならないし、又、基準とすべきではないと解せられる。しかして、併合前の朝鮮には民籍法があり、韓国人たる身分は、血統、家族主義による同法の戸籍にある者を指したのであるが、併合後は、右民籍法に朝鮮戸籍令が代り、同令の戸籍に登載されたものが内地人と区別された場合の「いわゆる朝鮮人」の身分を有していたのである。これによつて見れば、併合当時韓国籍を有し、併合なかりせば韓国籍を有したであろう者とは、朝鮮の戸籍に登載された者と合致すると考えられるから、朝鮮の独立によつて、その国籍を取得すべき者は、本籍主義を基準とした朝鮮の戸籍にある「いわゆる朝鮮人」であるとなすのが、平和条約第二条a項の合理的解釈でなければならない。この解釈は、被告の前準備書面において陳述のとおり、南朝鮮過渡政府法律第十一号、大韓民国国籍法の規定上も、矛盾なく、且つ朝鮮国側において終戦以来今日に至るまでとつてきた措置や態度とも合致するものであつて、このことは日韓予備会談における経緯に徴しても明瞭である。
二、朝鮮独立に伴う一定日本人の国籍喪失は、国際法上の原因による国籍変動であつて、本来日韓両国の国内法に根拠するものではなく、平和条約第二条の合理的解釈に基くものであることは、上述のとおりである。しかして日本の旧国籍法は夫婦同一国籍主義をとり、大韓民国国籍法も同一主義をとつているのであるから、若し、平和条約発効時にも旧国籍法が施行されていたとすれば、朝鮮国民の妻たる原告は朝鮮の国籍を取得すると共に日本国籍を喪失したものであることは疑の余地がない。しかるに、条約発効時における日本の新国籍法は、夫婦独立国籍主義をとつているので、若干問題はあるように見えるが、新国籍法は、ポツダム宣言受諾以来日本国の置かれた地位に鑑み、独立と共に当然国籍の変動を予定せられているいわゆる朝鮮人に適用されることを予想していなかつたし、又旧国籍法と同様朝鮮に施行されたこともない。加之、新国籍法施行後に外国人と結婚した日本の女子は、婚姻によつて当然に日本の国籍を失うことはないが、新国籍法施行前に既に外国人と結婚して日本国籍を失つていた女子は、新国籍法の施行によつて、当然に日本の国籍を回復するものではない。このことは新国籍法施行前に朝鮮人と結婚していわゆる朝鮮人になつていた女子についても同様であつて、彼女は新国籍法施行後も依然としていわゆる朝鮮人であつて、内地人ではなく、いわゆる朝鮮人として平和条約発効と共に当然に日本国籍を喪失する。新国籍法が夫婦独立国籍主義をとつているからといつて、原告に日本国籍を認めるわけにはゆかない。
第三準備書面
一、国籍に関する住所主義、血統主義、選択主義等の原則は、国際慣習法の如く条約に代る法的効力をもつというようなものではなくして、多くの法律、条約の先例等において見出される傾向や趨勢を分類指称したものと考えられる。従つて、例えばある条約か国籍選択主義を採らなかつたといつて、その条約の効力を云々できないことは勿論であるが、また条約による取極めがない場合に必ず住所主義の原則によらねばならないという道理もない筈である。何れの主義が合理的であり、妥当な結論を導き得るかということは、国籍変動の原因たる国際事情や適用される地域や人に関する特殊事情等に相応じ、これに即して最も妥当に解決できるか否かによつて判断されなければならないであろう。人種的混交の多い地域の住民の国籍変動には血統主義は採り難く、住所主義によるのが妥当であろうし、(かかる意味でも、欧米には住所主義を原則とする事例が多いと思われる)ある民族の独立国家を分立するという場合は住所主義よりも血統主義によるのが、より合理的であるといい得よう。しかるに、この場合、国際法上住所主義という原則があつて、血統主義にはより得ないとか、住所主義か、血統主義か、その何れかの原則による以外、他に国籍帰属の合理的基準はないというような断定が、なされ得るものであろうか。また住所といい、血統といつても、住所とはいかなるものをさし、血統とはいかなる範囲をいうかに諸説があるようであるから、その何れが妥当するかは、適用される対象の置かれた条件や事情を無視して定められない筈である。同じく血統主義による場合といつても、純粋の血統主義によることが果たして可能であるか疑わしい場合もあり、また妥当でない場合もあるであろう。例えば、日韓両国の国籍法は原則として、血統主義をとり、これに生地主義を加味しているが、他の多くの法律、条約の先例においても、純粋の血統主義とか、唯一の住所主義とかによるということはなく、これに若干の補足的規定をおいているのが通例である。即ち国籍附与の標準には、その国の歴史的伝統とか社会的事情とか人口政策的意図とかが当然考慮されているのである。そこで朝鮮独立における国籍変動を考えて見ると、既述のように、この独立は、朝鮮人の国籍回復的意味を持つていることから、住所主義により国籍の範囲を定めることは合理的でもないし、実際にも妥当な結果を得ない。そこには朝鮮人という種族を中核とする朝鮮民族国家の成立が予定されているのであるから、血統主義によることがより合理的であると考えられる。しかしながら若しこの場合、純粋無制限な血統主義によるならば、内地人の妻または養子となつた本来の朝鮮人及びその子孫は勿論日本以外の外国籍を取得している本来の朝鮮人、更には凡そ朝鮮人種という血統上の証明を得られる限りの人は、総て朝鮮国籍を取得し、反対に、本来の朝鮮人の妻又は養子となつた元内地人は、右朝鮮人と夫婦、親子という最も密接な親族関係にあつて共同生活をなしていながら、これ等の者とは互に国籍を異にするという不合理を生じ妥当な結果とはいい難いのである。その範囲は少くとも、純粋の血統に限られるべきでなくして本来の朝鮮人及びその子孫を中心とし、これと一定の親族関係にある者を含むところの準血統的標準が考えられるのであつて、この範囲の朝鮮人はかつて日韓併合前の朝鮮民籍に登載され、又は登載さるべき者の範囲や、併合後の民籍及び朝鮮戸籍に登載され又は登載さるべき者の範囲と大略合致するのである。これ等の者は内地と法域を異にする朝鮮地域に身分的に専属していたともいうべきものであるから、今回朝鮮が独立し日韓併合前の状態を回復するに当つてはこれらの者が独立した朝鮮の構成員としてその国籍を取得すと解することが歴史的社会的諸事情に適合し最も合理的且つ妥当な解決であることは常識上何人も否定し得ないところと思われる。即ち朝鮮の独立にあたつては、日本人の内、純粋の血統主義による本来の朝鮮人という範囲に限ることなく、これよりもある点において広く、又ある点において狹く、朝鮮の地域や本来の朝鮮人と地縁的に又血縁的に密接に結ばれ、法制上内地とは異る地域としての規整を受けていた者、かかる意味において、いわば準血統的、身分的な基準による範囲の者が朝鮮国の構成員であると解すべきである。しかして、この準血統的な者の範囲を定めるにあたつては、たまたま存在する朝鮮戸籍というものを標準とするならば、朝鮮独立の意義や朝鮮の地域と人に対する特殊事情に相応じて、最も妥当且つ合理的範囲を画し得るというのであつて、身分の公証制度にすぎない戸籍が直ちに国籍確定の基準という訳ではない。また、戸籍が基準となつたから合理的であるとか合理的でないとかいう問題でもないのである。純粋の血統主義にはより得ないが結果的にはいわゆる朝鮮人の範囲に相応ずる準血統的ともいうべき者の範囲が朝鮮国籍を取得し、日本国籍を喪失するとなすのが最も矛盾少く合理的な解釈であるというのである。
二、併合当時、韓国籍を存していた者及び併合なかりせば韓国籍を有したであろう者の範囲は、いわゆる朝鮮人の範囲に符号すると考えられる。
併合前の韓国には国籍法はなく、民籍法の民籍に入ることが国籍取得であつたから、併合当時、韓国籍を有していた者は併合前の民籍法の適用を受ける者で、既に民籍に登載され又はこれに登載さるべき者の範囲に一致したのである。そしてこれ等の者は併合後も民籍に登載され、又は登載さるべきものであり、民籍法の後身たる朝鮮戸籍令施行後は、帰化、婚姻、縁組等の身分変動によつて外国籍を取得したか、内地籍に入つた者以外は依然として朝鮮戸籍になる者又はあるべき者として存続したのである。しかしてこれ等の者即ち本来の朝鮮人との婚姻、縁組等によつて朝鮮戸籍に入り、内地戸籍より除かれた元内地人は、この本来の朝鮮人と親子、夫婦という身分関係にあつて、共に、いわゆる朝鮮人の範囲を形成しているものであつて、このいわゆる朝鮮人とは併合時に韓国籍を有した者及びその子孫と、これ等の者と特定の親族関係を生ずることによつて、朝鮮戸籍に入つた元内地人等を含む範囲の者である。若し日韓併合がなかつたならば、右の本来の朝鮮人と特定身分関係に入つた日本人その他の外国人は、朝鮮の民籍乃至戸籍に入ることによつて韓国籍を取得した筈の者なのである。民籍法規戸籍令の適用される範囲は、逆にその、国籍の範囲を推定せしめるのである。従つて併合後も、内地と法域を異にし、同じ日本国内でありながら共通法(第二条には法例の準用を認めた。)によつて処理される両地域の関係は、恰も連邦内の準国際関係の如くも見得るのであつて、身分関係においては、その何れの戸籍にあるがが、併合なかりし場合の日韓何れの国籍を有するかの区別に相応ずるものと考えられるのである。従つて、併合なかりせば韓国籍を保有していたであろうものとは、朝鮮の戸籍にあつた者即ち、いわゆる朝鮮人の範囲に異らないということができるのである。このことは、大韓民国国籍法においても、大韓民国の国民であつた者がいかなる範囲の者であるかを定義していないで、従来朝鮮の戸籍にあつた者は当然大韓民国の国民であることを予定していることからも明らかであろう。
三、占領中の日本における朝鮮人に対しては次のような取扱がなされたのである。即ち、昭和二十一年の「朝鮮人、中国人、琉球人及び台湾人の登録に関する覚書」には、日本に在住する朝鮮人その他の外地人、外国人の登録を日本政府に要求し、「引揚に関する基本指令」においては、非日本人なる語中に朝鮮人を含むものとし、「非日本人の入国及び登録に関する覚書に基く、外国人登録令第十一条は朝鮮人を当分の間外国人とみなし、これに対し入国の制限と登録を強制し、「朝鮮人その他の人民に科せられた刑事判決に関する覚書」は朝鮮人に対する刑事判決につき連合軍最高司令官が再審査できる旨を規定し、昭和二十三年の「未登録婚姻によつて日本人と関係ある朝鮮人及び外国人の日本入国に関する覚書」においては、外国人の語中に朝鮮人を含めていた。しかして、これ等の覚書や法令中の「朝鮮人」については、その範囲を定義することなく、当然在朝鮮籍のいわゆる朝鮮人を指称するものとし、これ等の者は、日本人(即内地人)に対するとはその取扱を異にしてきたのである。殊に、日本人たる資格においてのみ享有し得る重要な権利としての参政権について考えるならば、昭和二十年法律第四二号衆議院議員選挙法改正附則第五項、昭和二十二年法律第一一号参議院議員選挙法附則第九条、昭和二五年法律第一〇〇号公職選挙法附則第二項は、何れも、戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権を当分の間停止することを定め、この内地戸籍法の適用を受けない、いわゆる朝鮮人は日本における参政権を行い得ず、昭和二十一年公布の日本国憲法を始め、その他の日本国法の制定に参加し得なくなつたのである。このことは、いわゆる朝鮮人が日本の国籍を平和条約発効と共に当然喪失するものであることを予定し、公法上の権利関係においては既に、実質上日本国籍を喪つたと何等異らない取扱いを受けてきたのである。「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」第二条の平和条約発効の日において日本国籍を離脱する者の内には当然朝鮮人が含まれており、同法律は平和条約第二条a項を解釈し、右条約発効と共にいわゆる朝鮮人が日本国籍を喪失することを明らかにしたものであることは、終戦後、同条的発効まで朝鮮人に対する上述の如き法制上の取扱から見ても疑ないところといわねばならない。
四、平和条約第二条a項の解釈にあたつては、カイロ宣言以来日本の置かれた国際事情を無視し得ないことは勿論であるが、国際信義、国際条約の理念等を尊重し、これに適合するように解釈しなければならないと考える。この意味において日本国が朝鮮の独立を承認するということは、当然、回復される朝鮮国の主権を尊重し、国籍の変動についても、同国の意思を無視して、自国の立場のみの解釈をとるということは避けらるべきである。朝鮮は平和条約締結前にその国籍法において、いわゆる朝鮮人が同国の国籍を取得することを明らかにし、これ等の者を自国民として取扱つてきたのである。従つて、平和条約の解釈においてもいわゆる朝鮮人が朝鮮国籍を取得すると共に、日本国籍をも喪失したとなすのが、日鮮両国の意思にも合致しており、自国の立場のみの解釈でなく、国際信義に照らしても極めて妥当な解釈ということができよう。加之、一九三〇年ヘーグにおける「国籍法のてい触についてのある種の問題に関する条約」が約定するところの二重国籍と無国籍の防止の理念に鑑みても、二重国籍とならざるよう平和条約は締結されているものと解釈することが合理的である。しかして、この解釈は、占領時代から一貫して、日本・朝鮮両国において、いわゆる朝鮮人を日本人(内地人)とは異る者、独立朝鮮の国籍取得を予定された者として取扱い、現にこれを取得した者となしているところと符合するのである。国籍に関する日韓条約がないからといつて、両国の既成の事実、意思を無視して、これに反する解釈をなし、両国の安定した法的状態を混乱に導き、平地に波瀾を招来するような解釈が、果して合理的且つ妥当な解釈といい得るであろうか。日韓両国の大部分の国民は、両国政府の国籍に対する一致した解釈適用に対しては殆ど異論なく、今や、両国民の通念乃至常識ともいうべきものである。原告のような特殊事情にある人のためとはいつても、かくの如く、両当事国において異議なく、また、両国民の大部分によつて支持されている解釈に反して、或は住所主義のみにより、或は純粋な血統主義のみによつて、朝鮮国の国籍の範囲は決定せらるべしということは到底、妥当且つ合理的解釈とは考えられない。原告が簡易帰化の方法によつて、日本国籍を取得されるならば、それは平和条約に対する日韓両国の解釈適用から原告の受けられる実際上の不都合を、実質上は国籍選択をなしてこれを避けたと同様の効果を得られるのである。との被告の主張は第十二回国会参議院の平和約に関する審議において、同条約に国籍選択主義をとらない不都合は、国籍法の帰化によつて解釈すべき意思を明らかにし、国会の承認を得ていることからみて是認さるべきものと考える。